終活ではなく美来活。これからを美しく整えるために残しておくこと
終活という言葉を、美来活に変える。
その言葉を聞いた時、なんていい響きなんだろうと思いました。終わりに向かって片付けるのではなく、これからの未来を美しく整えていく。そんなふうに受け取るだけで、同じことでも気持ちの向きが変わります。
小さな朝の集まりで、ゆっさんがそのことをとても身近に、分かりやすく話してくれました。難しい制度の話でも、立派な人生訓でもなく、普通の女性が普通に感じてきたことを、商売抜きのピュアな感覚で言葉にしてくれた時間でした。

終活より、美来活という言葉がしっくりくる
ゆっさんの中にずっと溜まっていた、人に尽くすエネルギー。それが満帆になって、少しずつこぼれて流れていくような感じがしました。
私は、ゆっさんのような思いで介護の仕事をしてきたわけではありません。だからこそ、その言葉の一つひとつが新鮮で、すごく感動しました。誰かのために動いてきた人の言葉には、きれいごとではない重みがあります。
美来活という言葉には、年齢を重ねたからこそ見えてくる優しさがあります。怖がらせるのではなく、急がせるのでもなく、これからを少し明るく整えていく感じ。そこがとてもいいなと思いました。

書けないからこそ、その都度メモに残す
多分、この仲間内では私が一番にこの世を去ることになるのでしょう。そんなことも、冗談半分のようでいて、年齢を重ねると現実味を帯びてきます。
今までも、自分の引き際や、これまでどう生きてきたかを、ちゃんと子どもに伝えておかなければと漠然と思っていました。でも、思っているだけではなかなか形になりません。
エンディングノートも流行っていますが、改めて机に向かって書こうとすると、これがなかなか書けないものです。質問に答えていけばいいと言われても、いざとなると手が止まる。何を書けばいいのか、どこまで書けばいいのか、急に分からなくなります。

引き際も、生き様も、ちゃんと伝えておきたい
だから私は、スマホのメモでもいいから、その都度書き留めていこうと思いました。思いついた時に少しずつ。私の最期はこうありたい。これは伝えておきたい。これは残しておきたい。そんな小さな言葉を、そのまま置いていく。
一枚の紙にきれいにまとめようとすると難しいけれど、日々の中で少しずつならできるかもしれません。むしろ、その時々の自分の言葉のほうが、家族には伝わりやすいのかもしれない。
残す言葉は、立派でなくていいのだと思います。好きだったもの、嬉しかったこと、これは嫌だなと思っていること、お願いしたいこと。そんな日常の言葉のほうが、あとで読む人にはその人らしさとして届くはずです。
そして、自分のためにもなります。書き留めることで、今の自分が何を大切にしているのかが見えてくる。まだやりたいこと、会いたい人、整えておきたいことが、少しずつ輪郭を持ちはじめます。
美来活は、終わりの準備というより、これからを雑にしないための小さな確認作業なのかもしれません。
年齢を重ねることは、何かを諦めることばかりではありません。自分の未来を、自分の言葉で少しずつ整えていくこともできます。
美しく生きるというのは、服や見た目だけではなく、こういう心の置き場所にも出るのだと思います。
終活を美来活に変換したゆっさんは、本当に美しい方でした。終わりを怖がるのではなく、これからを整える。私も少しずつ、自分の言葉を残していこうと思います。