やるなら全力以上。咲き切る花に教わった、私らしく最後まで生きること
花びらが最高到達点を越えるほど開き、それでもまだ力いっぱい咲いている花を見つけました。名前は分からないけれど、その姿から目が離せませんでした。
きれいに形を整えているわけでも、薔薇のように華やかなわけでもありません。むしろ「ちょっと開きすぎでは?」と笑ってしまうほど。それなのに、一生懸命に咲き誇る姿がたまらなく好きでした。やるなら全力。いえ、全力以上。その潔さに、胸をつかまれたのです。
全力以上で咲く花に立ち止まった
私たちはつい、いちばん美しい瞬間だけを見せようとします。花なら咲き始めから満開まで。人なら若く、元気で、何でも上手にできる時期。少し形が崩れたり、勢いが落ちたりすると、「もう盛りは過ぎた」と自分で線を引いてしまいます。
けれど、この花はそんな線など気にしていません。花びらを大きく広げ、まだまだここからと言わんばかりに太陽を受けていました。誰かに褒められるためではなく、ただ自分の命を使い切るように咲いている。その姿が、なんともかっこよく見えました。

整いすぎていないからこそ心が動く
完璧に整ったものはもちろん美しい。でも、心を強く動かすのは、少し不器用でも自分の力を出し切っている姿なのかもしれません。人のおしゃれも生き方も同じです。欠点を隠して正解の形に近づけることだけが、魅力ではありません。
年齢を重ねれば、若い頃と同じ肌や体形ではなくなります。できないことも増えるでしょう。それでも、今の自分を小さくまとめる必要はありません。笑いたいときは大きく笑い、着たい服を楽しみ、会いたい人に会う。少しくらいはみ出しても、そこにその人らしい勢いがあれば素敵です。
きれいに整っていることより、今を夢中で生きていること。その熱量は、表情や立ち姿に自然と表れます。誰かの基準に合わせて縮こまるより、今日の自分を精いっぱい使うほうが、ずっと生き生きして見えるのです。
年齢を重ねた今こそ出し惜しみをしない
「もう年だから」「今さら始めても」と遠慮している時間は、もったいない。晴れの日も雨の日も、その日の自分にできる楽しみ方があります。おしゃれも美容も仕事も、誰かが許可してくれるのを待たずに、自分から面白がってみればいいのです。
頑張り続けて疲れ切るという意味ではありません。休む日はきちんと休み、心が動いた瞬間には惜しまず一歩を出すこと。やりたいと思ったことに、自分の気持ちをちゃんと注ぐこと。それが私にとっての「全力以上」です。

最後まで自分らしく咲き切りたい
この花を眺めていたら、私のその時には、この花をよろしくとエンディングノートに書いておきたくなりました。可憐すぎず、豪華すぎず、ただ力いっぱい咲いている花。最後の景色まで自分らしいなんて、ちょっといいでしょう。
ピーちゃん、いざというときは頼みますよ。そんな冗談を言える今も、ありがたい時間です。人生の終わりを暗く考えるのではなく、どんなふうに生き切りたいかを笑いながら話す。今日を大切にすることと、最後を考えることは、きっとつながっています。

今日も自分の花を大きく咲かせる
周りと比べてきれいに咲けているか、正しい時期に咲いているかを気にしなくていい。私には私の咲き方があり、あなたにはあなたの咲き方があります。少し開きすぎても、全力以上で生きている姿は、誰かの心を動かします。
アラカン後半戦も、まだまだ遠慮せずに。今日できること、今日楽しめることへ、惜しまず気持ちを注いでいきましょう。きれいに見せるだけではなく、自分の命を自分らしく使う。そんな生き方で、最後まで思い切り咲き切りたいと思います。
大きな目標がなくても大丈夫です。好きな服を着る、花を眺める、大切な人に言葉を届ける。今日の小さな選択に心を込めることも、立派な全力です。積み重ねた一日一日が、振り返ったときに自分らしい花束になっていくのでしょう。