時間を重ねたからこその味がある。昭和の面影を残す瀬戸の街歩き
先日、家族と瀬戸の街をぶらぶら歩いてきました。
歩き始めてすぐに感じたのは、「うわあ、昭和だわ」という懐かしさ。きれいに整えられた新しい街とは違って、昔の面影があちらこちらに残っています。
古い建物や看板を眺めながら歩いていると、時間を巻き戻したよう。見覚えのある景色ではないのに、「昔はこういうお店が普通にあったよね」と記憶まで動き出すから不思議です。

街角の景色に、昭和の記憶がよみがえる
そういえば、昔はどこの街にもこんな雰囲気のパチンコ屋さんがありました。おばさんが四角いカーテンのついた小さな窓から、景品を交換してくれたんですよね。
建物を見ているだけなのに、当時の空気や香りまで戻ってくるよう。便利さや新しさでは表せない、芳しい昭和レトロの気配が残っていました。
木の外壁、細い通り、店先のテント。ひとつだけを切り取れば何気ない景色なのに、いくつも重なると街全体に物語が生まれます。暮らしてきた人たちの時間が、そのまま見えるようでした。

アーケードのそばには、時代を感じる壁と絵。新しく塗り替えればきれいになるのかもしれないけれど、重ねてきた年月が見える今の姿にも、その場所だけの面白さがあります。

整いすぎていない街には、時間の味がある
こちらは旅籠でしょうか、旅館でしょうか。入口も建物も、とても開かれた雰囲気です。今の感覚で見るとセキュリティーが少し気になりますが、昔はそれでよかったのでしょうね。

古いお饅頭屋さんでしょうか、それとも和菓子屋さんでしょうか。知らないお店でも、長くこの場所にあったのだろうなと足を止めたくなります。瀬戸といえば、やっぱり「せともの」。店先には器や招き猫もずらりと並んでいました。

新しくきれいに整えられた街も素敵。でも私は、少し古くて、少し雑多で、昔の面影がそのまま残っている街にも惹かれます。すべてを新しくせず、積み重ねた時間まで景色の一部になっているからです。
また迷子になったら、その場で待つ
街を眺めるのに夢中になっていたら、また家族と離れ離れになってしまいました。だいたいいつも、迷子になるのは私です。
こんなときは、むやみに歩き回らない。樹海と同じで、その場にじっとして救護隊を待つのがいちばんです。

すると、孫が迎えに来てくれました。この子は私の一番弟子。そして、私のことを少し好きそうです。街歩きの途中で離れてしまっても、最後にはこうして見つけてもらえる。そんな小さな出来事まで、家族との思い出になりました。

時間を重ねたからこそ出せるもの
「昭和を懐かしい」と言っている自分は、もう立派な昭和の人間です。でも、古いものは古いからだめなのではありません。時間を重ねたからこそ生まれる味があります。
それは、人も同じなのかもしれません。新品には新品の良さがあるように、年齢を重ねたから出せる雰囲気もあります。若いころと同じでなくていいし、無理に新しく見せなくてもいい。今まで過ごしてきた時間が、その人だけの表情や佇まいになっていきます。
おしゃれも、年齢を消して別の誰かになるためのものではありません。今の自分が持っている味を、服や色の力でもう少し素敵に見せていく。そのほうが、長く重ねてきた時間にも似合う気がします。
瀬戸の古い街並みを見ながら、そんなふうに自分まで勝手に肯定して帰ってきました。昭和の香りが残る街をゆっくり歩く、少しのタイムスリップ。たまにはこんなお出かけもいいものです。
家族と出かけた先で思いがけない発見を楽しんだ日は、半田赤レンガ建物で過ごした大人の手作り時間にも残しています。